ぎ ゆ し の え ちえ ち。 それは「感情失禁」なのか?

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[坂部 明] 知は「是非の心」 孟子 としてを分別する心的作用であると同時に,知と同じく「知らざるところなき」 釈名 がごとき卓越した知識とされるように,一般に知恵は判断,思慮分別の卓越性と知識の卓越性を両極にもち両者は相補的関係に立つといえる。 たとえば「発達障害」もその1つかもしれません。

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そもそも「感情失禁」とはこういう問題のある言葉なのですが、精神医学領域から周辺に広がるにつれてどんどん意味があいまいになってしまいます。
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「感情失禁」という言葉を使ってしまうと、その人の感情表現を額面通りに受け止めなくなるという問題があります。

また、古代ギリシア思想では一般に、知恵とは、「ものをあるがままの相において眺める純粋の知のこと」とされる。
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「怒りっぽい」「涙もろい」「感情の波が大きい」と普通の言葉で記述した方がよい、と私は考えます。 爾来 じらい 、哲学は知恵とのあいだの緊張において、人間に可能な知恵の存立を問い続ける営みとなった。 そうであれば余計に使わないに越したことはありません。

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(保崎秀夫) とあります。 古代ギリシアでは、知恵 ソピア の語は広く事を処する技術的知を意味した(笛吹きの知、大工の知)。
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うつ状態ですぐに涙が溢れてくる人も「悲哀的」とは言っても「感情失禁」とは言いません。 「怒りっぽい」でよい 私が研修医のとき、こういう用語は使わずにふつうの言葉で記述するように習った記憶があります。

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精神医学用語の乱用をやめよう このような 精神医学用語の拡散、乱用は他にもあります。
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字面で何となく分かる気がするのでそういう区別はすぐに曖昧になってしまいます。

分析判断能力とは異なり、もっとも深い意味での理性と考えてよい。
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また濱田秀伯『精神症候学』には、 情動失禁では、わずかなことで泣いたり笑ったりするが、刺激と反応の間に内容の関連が一応保たれており、主に老年痴呆、多発梗塞性痴呆など広範囲な脳器質疾患にみられる。 。

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たいせつなことは何ひとつ知らないので、そのとおり知らないと思うことが人間にとって唯一可能な知恵であるとする、ソクラテスの愛知philosophiaの営みがこれである。
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私はそれに違和感を覚えます。 それに従って一見似通っていても、これは「感情失禁」、これはそうじゃない、と区別して使えなければなりません。 したがって、科学と区別される哲学の存否は人間にとっての知恵の存否にかかわり、人間にとってどのような知恵が許容されうるかにかかっている。

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脳血管障害、筋萎縮性側索硬化症、頭部外傷、マンガン中毒などに生じる。
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関連のない刺激から不随意に表情運動が誘発されるのは強制泣き、強制笑いであり、表情に一致した感情が伴わず、患者自身も異様に感じるが抑えられない。 「感情失禁」の本来の意味 そもそも「感情失禁(emotional incontinence)」というのは、認知症などで喜怒哀楽の感情が抑制できない場合に使いました。 人間は世界における多様なものにかかわりながらも、一なる自己である限り、この一なる自己を根拠づけ、意味づける一なる知(=知恵)にかかわらざるをえない。

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その患者さんのこれまでの苦労を知っているとはいえ、泣くほどのことではないように思います。 認知症との結びつきもなく、単に怒りっぽかったり涙もろかったりする人に簡単に「感情失禁」のラベルを貼ってしまったりします。